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『北方謙三 水滸伝』第2話感想|人は変われるのか。“死域”の先にあるもの

ドラマ感想(コラム)
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WOWOWドラマ『北方謙三 水滸伝』第2話(放送日:2026年2月23日放送)のネタバレを含む感想です。

諜報組織「青蓮寺」や闇塩の構造といった物語の骨格が動いた回でありながら、今回は登場人物の内面の問いかけに深く心を掴まれた。

「人は変わる。何度でも」と語る男と、
「死域を超えろ」と告げる男。

第2話は、行動の物語であると同時に、変化の物語でもあった。

人は変われるのか ― 魯智深の問い

魯智深は、かつては荒くれ者だった。
短気で、豪放で、力で解決する男。

だが今は違う。
書を捨てられても怒らない。嘲られても拳を振るわない。

「人は変わる。何度でも。そうだろう?」

彼はそう言って、静かに問いかける。

相手は呉用。
理で動く男は、そうありたいものだが、と難色を示す。

そして絡むのが阮小五。

書物を投げ捨て、役人嫌いを隠さず、
「お前は何をしている?」という問いに対し、
「塩を運んでいる」とぶっきらぼうに返す。

だが魯智深の問いはそこからだ。

俺は天下国家のために、替天行道を書き写している。
お前は何をしている?

これは単なる挑発ではない。

理想を語るな、行動せよ──と言っているのではない。
むしろ、理想と行動の乖離こそが問いなのだ。

人は変われる。そのために、今お前は何をしている?

変化は願望では起きない。
日々の積み重ねの中でしか起きない。

魯智深は、かつての自分を知っている。
だからこそ言えるのだ。

「俺は変わった」と。

現代に置き換えればどうだろう。
愚痴を言う。批評する。皮肉を言う。

だが自分は何をしているのか。

耳が痛い。


死域を越えろ ― 王進が示した世界

第1話とはまた違うモードで、
武術的な場面から突然“人生の壁”を突きつけられた——
そんな感覚になったのが、王進と史進のやり取りだった。

史進は強い。
だがその強さは、自分に酔った強さだ。

王進は言う。

本当に学びたいと思ったら、命を懸けなければならない。
死域を超えろ。

死域とは何か。

「もう駄目だ」と思うその先。
体が動かないと思った、その先。

そこを越えたとき、
苦しくなく動ける世界がある。

これは武術の話だ。
だが、人生の話でもある。

本気で何かを身につけようとしたとき、
必ず“もう無理だ”という壁が来る。

そこを越えられるかどうか。

王進は甘くない。
「お前には超えられない」と突き放す。

だが史進は食い下がる。

「死域まで連れていってください」

その瞬間、ただの荒くれ者だった男の目が変わった。

死域は才能ではなく、覚悟の問題なのかもしれない。


理想と行動のあいだで

第2話では、宋江が「心を救う戦い」を語る。
そして晁蓋が「必ず助けてやる。信じろ、俺達を」と応える。

「この世界には本物のバカがいる。人を救うために大仕事をやってのけるバカがいる」

この言葉が、妙に好きだ。

賢さではなく、打算でもなく、
損得を越えて動く人間。

現代はある意味、利口な人間が多いのかもしれない。
計算し、損を避け、リスクを回避する。

だが物語は、いつも“バカ”が動かす。

魯智深は、変わるというバカだ。
史進は、死域を目指すバカだ。
晁蓋は、命を張るバカだ。

そして宋江は、今日も「心を救う」と言い続けるバカだ。


変われるかどうかではない

第2話を見終わって思った。

人は簡単には変わらない。
だが、変わることはできる。

そして変わるためには、

  • 今、何をしているのか
  • どこまで自分を追い込めるのか

それが問われる。

水滸伝は叛乱の物語だと思っていた。
だが実は、人間が変わる物語なのかもしれない。

そしてその変化は、
言葉ではなく、行動によってしか起きない。

魯智深の問いも、
王進の死域も、

すべてはそこへ繋がっている。

次回、彼らはまた戦うだろう。
だがその前に、私たちは問われている。

それは、物語の問いであると同時に、
私たち自身への問いでもある。

お前は何をしている?

それが、第2話で一番刺さった言葉だった。

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