2026年1月2日に放送された東野圭吾スペシャル「雪煙チェイス」前編の、ネタバレを含む感想をまとめました。
雪山を舞台にしたサスペンスと聞いて想像していたのは、もっと派手でスピード感のある物語でした。
けれど「雪煙チェイス」前編は、静けさと疑念、そして人の善意が少しずつ追い詰められていく物語だったと思います。
観終わったあと、いちばん強く残ったのは「怖さ」よりも、信じたいのに信じきれない不安と、善良であるがゆえに疑われてしまう苦しさでした。
雪山ロケが生む圧倒的な臨場感
まず触れずにはいられないのが、雪山での撮影。
スノーボードのシーンは明らかに“本物”で、ゲレンデの広さ、粉雪の質感、滑走時のスピード感が画面越しでも伝わってくる。
このドラマの大きなアドバンテージは、雪山のシーンでスキーウェアやゴーグルを着用しているため、「誰が滑っているのか」が分からなくなる瞬間が自然に生まれることだと思う。
上手な人が滑り、立ち止まって話すときにゴーグルを外してキャスト本人になる。
身長や体格が極端に違わなければ、その切り替えに違和感がない。
そのおかげで、雪山そのものが物語を進めているように感じられた。
特に印象的だったのは、竜実がふと視線を向けた先に「止まっている誰か」を見つける場面。
雪山の静寂の中で、その存在だけが浮かび上がるようなカットは、この作品が単なる刑事ドラマではないことを最初に示していたように思う。
「善意」が疑いに変わる怖さ
脇坂竜実という人物は、終始“お人好し”として描かれている。
犬の散歩係のバイト、ペロを気にかける気持ち、困っている人を放っておけない性格。
本来なら長所であるはずのそれらが、事件をきっかけにすべて疑いの材料に変わっていく。
- 合鍵を知っていた
- 無断で庭に入った
- 犬のリードを持ち帰った
どれも単体なら決定打ではないのに、積み重なることで「状況的には真っ黒」になっていく怖さ。
波川が語る「警察はいったん疑ったら、少々の反証じゃ捨てない」という言葉は、物語の中だけでなく、現実としても妙に説得力があった。
友情があるからこそ刺さる会話
前編でもっとも心に残ったのは、逃走中の車内での竜実と波川の会話だった。
「何の取り柄もないから、人に優しくしないと」と語る竜実に対して、波川が即座に否定する場面。
不安と疑念の中で、それでも友人を信じようとする波川。
ただし、それは「完全に信じ切る」ということではない。
一緒にいるという選択そのものが、今度は波川をも共犯者に見せてしまう。
その危うさを分かっていながら、それでも離れない関係性が、この物語を苦しく、そして切なくしている。
刑事側の描写が生む緊張感
小杉をはじめとする刑事たちも、単なる“追う側”ではない。
捜査一課と所轄の微妙な力関係、情報をどこまで共有するかという判断、花菱の登場による空気の変化。
正義のために動いているはずなのに、警察内部では、いつの間にか「事件の真相」よりも「犯人逮捕」が前に出ているようにも見えた。
だからこそ、小杉がどこか納得しきれていない表情を見せる場面が印象的だった。
「女神」という存在が持つ意味
前編のラスト、竜実が再び雪山で“あの人”の滑りを見て、女神だと確信する場面。
ここでようやく、この物語が単なる逃走劇では終わらないことが示される。
女神は恋の対象というより、竜実にとって「無実を証明する希望」であり、同時に“雪山で生きる自由”の象徴のようにも感じた。
果たして女神とは誰なのか?そして無実を証明してくれるのか?
前編を観終えて
「雪煙チェイス」前編は、派手な展開よりも、じわじわと追い詰められていく感情を描いた作品だった。
- 善良であることの危うさ
- 疑われる側の恐怖
- 信じたいのに疑ってしまう人間関係
雪山の静けさが、それらをより際立たせている。
後編では、この“静かな追い込み”がどんな形で回収されるのか。
そして女神は、竜実を救う存在になるのか。
前編は、そんな不安と期待、そして雪山の静けさを、しっかりと胸に残して終わった。

