※本記事は『シリウスの反証』最終回のネタバレを含む感想です。
物語の展開や印象的な出来事に触れていますので、未視聴の方はご注意ください。
シリウスの反証最終回は、物語として見れば「冤罪が晴れた回」だった。
再審は開始され、死刑執行は止まり、事件はひとまず一区切りつく。
だが見終えたあとに残るのは、安堵よりも重たい違和感である。
正義は本当に果たされたのだろうか。
責任はどこに帰属しているのだろうか。
この最終回が描いたのは、勝利の物語ではない。
「それでもこの世界で、正義を信じ続ける意味はあるのか」という問いだった。
※本作のこれまでの流れや事件整理については、第1話~第4話の感想もあわせてご覧ください。
※本作『シリウスの反証』はWOWOWで放送・配信されています。
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冤罪は証明できた。だが責任はまだ回収されない
宮原の冤罪が晴れた決め手は、あくまで指紋鑑定という一点である。
凶器の指紋と、別事件で採取された指紋の一致。
論理としては筋が通っているし、ドラマとしても納得できる。
しかし同時に、こうも思わされる。
- なぜ25年間、誰もこの可能性を掘り下げなかったのか
- なぜ誤鑑定が「なかったこと」にされ続けたのか
- なぜ証拠が廃棄され、記録は消え、誰も責任を取らないのか
冤罪は晴れたが、冤罪を生んだ構造は、ほぼ手つかずのまま残っている。
検察は非を認めない。
警察も組織として裁かれない。
政治は「法の威厳」を口にして逃げ切る。
最終回は、救済の物語であると同時に、「この国の司法は、ここまでしか変わらない」という現実の提示でもあった。
東山佐奈という“シリウス”が、なぜ必要だったのか
改めて思うのは、この物語が東山という人物を失ったあとも続いているという点だ。
東山の死が物語に与えた衝撃については、
→ 第3話感想|東山の死が残したものでも触れている。
東山は、
- 真犯人に辿り着いていた
- 冤罪を確信していた
- それでも、最後まで制度の中で戦おうとした
彼女は光だった。
だが、光が強すぎたがゆえに、殺された。
そして最終回で示されるのは、東山がいなくなった後の世界のほうが、むしろ現実的で、なお苦いという事実だった。
藤嶋は戦い続ける。
だが彼は、東山のように“正しさだけ”では進めない立場になった。
安野は、正義のために一線を越え、姿を消した。
稗田は、最後まで組織の中に留まりながら、できる範囲の責任を取った。
誰も完全に正しくない。
誰も完全に間違ってもいない。
それが、このドラマの出した最終的なバランスだったように思う。
「正義は勝つ」という言葉が、どれほど危ういか
最終回で印象的だったのは、「正義は勝つ」という言葉が、ほとんど祝福として使われていない点だ。
勝ったのは何か。
救われたのは誰か。
失われた時間は戻らない。
死んだ人は帰らない。
それでも、戦うしかない。
『シリウスの反証』は、正義が勝つ物語ではなく、「それでも正義を信じてしまう人たちの物語」だった、という印象が強い。
だからこそ、この最終回は静かで、重い。
そして、どこか後ろめたさを伴う。
まとめ|このドラマは「希望」を描いたのではない
最終回を見終えて思う。
この作品は、希望を描いたドラマではない。
描かれたのは、
- 冤罪は、奇跡的にしか覆らないこと
- 制度は、人を救うより先に自分を守ること
- それでも誰かが声を上げなければ、何も始まらないこと
その事実だった。
東山は死んだ。
安野は去った。
藤嶋は一人、定例会を始める。
星は消えても、夜は続く。
そう思わせる余韻を、『シリウスの反証』は最終回に残した。
「シリウスの反証」は、回を追うごとに“正しさの輪郭”が変わっていくドラマです。今後も各話の感想は、こちらでまとめていく予定です。
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※本作『シリウスの反証』はWOWOWで放送・配信されています。
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