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何のためにブログを書くのか?真面目に考えてみた

日常
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はい、気付けば半年近くブログを毎日更新していたことに気付いた妹です。

今年の1月から始めたブログもはや半年。最初は姉が主に書いていたが、途中から交代で書き始めることになった。日々、更新するのは大変な上に、心が折れそうになることもある。

そこで改めて何のためにブログを書いているのか、理由をいくつか考えてみた。

理由①日記としてのブログ

理由として真っ先に挙げるとするなら、やっぱりこれ。姉妹の日々を書き連ねる、日記としてのブログ。他人から見たらつまらないことかもしれないが、その時思ったこと感じたことなどを、備忘録的な意味合いも兼ねて書き記す。

当然、内容の薄い日もあれば濃い日もある。単なる一般人だ、そんなに毎日劇的じゃない。今日はご飯が美味しかったとか、そんな感じの内容の日も多々ある。

時々、劇的まではいかないが、普段とは違う場所に行ったりすると、写真も撮るし内容は濃くなる。その緩急さがあるのが個人ブログというものだろう。

今後ものんびりと継続を第一に書き記していきたいと思う。

理由②思考整理のためのブログ

ぶっちゃけそんなに日々深く物事を考えて生活していない。だけどもブログに記すために、記していくうちに思考はどんどん深くなっていく。

例えば近所の公園のことなど、特に深く考えたこともない。しかし、もしブログで記事にしようと思ったら、事細かに見た上でいいところや悪いところを書くだろう。そうやって記事を書くために、思考を整理したり深く掘り下げることができる。

外を歩いているときに、これってブログの記事にできるかもと考えたり、今までと視点が少し変わった気がする。そして思考を整理して、自分がどう感じていたのか知れたりする。もやもやと漠然としていたものを形にする。そういった役割がブログにはあると思う。

理由③存在の証明

なんて書くと随分仰々しいが、例えば姉か自分のどちらかが先に死んだ時、このブログに書き記しておけば、残された人は読み返すことができる。理由①とも少し被るが、私的な意味での使用方法となる。

時々YouTubeで年配の方の動画を見ていると、いつか更新されなくなってしまうのではないかと、余計な心配をしたりする。とても寂しいことではあるが、彼らが存在したというのは映像として残る。

それと同じように、自分が書き記した言葉が、サーバーの料金を払い続けている間は残り続ける。肉体は滅んでもWeb上にその人は残るのだ。そう思うと、様々な人の様々なブログが途端に愛おしくなる。その人が存在した証なのだから。

改めて振り返る

笑ってしまうか泣いてしまうかそれは人によるだろうが、毎日更新していると、公開しても誰も見に来ないページなんてざらにある。PVゼロだ。世界中の誰にも相手にされず無視されているような気がして、心折れそうになる。

そんな時は再び始めた当初の理由を思い出す。そう、自分のために始めたことじゃないかと。誰も見ていないのが当然だろう、だってどこの誰とも分からないその辺の一般人のブログだ。つまり誰も見ていないのがデフォルトだ。

そう思うと気持ちが晴れ晴れとする。そして今日もこうして思考整理ができた。いいじゃないか、目的は達成したのだから。

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