はい、掃除チャレンジ4週目継続中の妹です。
前回、自分なりのルールを決めたが、部屋は片付くどころか散らかっている。どうして片付けているのに散らかるのか?その理由と対策を考えてみた。
片付けているのに散らかる部屋
部屋を毎日15分間、どこでもいいので掃除をしていると、クローゼットの一角を掃除する機会があった。クローゼット全体を掃除するには15分では当然足りない。なので、一つの棚にあるものを片付けることにした。
まずは外に出して全部広げる。いらないものは捨てて、いるものは雑巾で拭いた。湿っているのにまたすぐ戻すと、カビるのではないかと思って部屋の中で干すことに。床は棚にあった箱の中に入っていた、本やらゲームやらで散乱する。
うーん、片付けていたのに散らかっている。これはおかしなことになってきた。どうすれば散らからないで済むか、考えてみることにした。
①捨てる
まずはこれ、捨てる。捨てる量が多ければ、散らかる量も少ないし、片付ける必要もない。捨てるか捨てないか、その基準は迷ったら捨てるが正解なのだろうけど、趣味のものを捨てるのはどうにも腰が重くなる。
生まれて何回も片付けては捨てを繰り返してきた。捨ててよかったことと、捨てなければよかったことを比較してみると、捨ててよかったことのほうが恐らく多いはずだ。
“恐らく”と言ったのは、記憶として失敗や損したことのほうが、成功や儲かったことより強く記憶されるから。事実、捨てなければ良かったという後悔したものも、沢山記憶されている。本当は捨てて快適になっているのに、ごく僅かの捨てて損したが足を引っ張る。
人間誰しも失敗や後悔はしたくない。ましてやもう買い戻せないことがわかっているものを、手放すのは忍びない。まだまだ、物に執着している証拠だろう。しかし、捨てる以外に片付くことはないので、もう少し捨てる量を増やしてみようと思った。
②すみやかに戻す
乾かしている間は床に散乱しているのは仕方ない。問題はいつまでも片付けずに置いてあることだ。乾いたら片付ける、これをもう少し徹底する必要があるのではないか?
しかしそれと同時に、相方がどこにいるのか分からない。例えばゲームソフトの箱と説明書はあるのに、ソフト自体がどこにいったのか分からない。きっと今後片付ける場所にあるのだとは思うが、現時点では見つからない。
今また片付けてしまったら、相方が見つかった時に分かるのだろうか?そう心配し始めると、片付けの手が止まってしまう。酷いときは出てきた本とか読み始めたりする。片付けあるある行為に陥ってしまう。
そこでどうしたらいいか、考え付いたのが次の項目だ。
③一時箱に入れる
考えた末に捨てずに取っておくことが決まったのはいいものの、相方が行方不明の品々について、どうすればいいか?考え付いたのは、一時的に入れておく箱を作るということだ。
行方不明のものがあるボックスとでもいえばいいか、全て揃うまではその箱の中に入れておく。そして見つかったら、合わせて元の場所に戻す。そうすればいつまでも散らかったりはしないはず。ただ、この箱の中ばかりがいっぱいになり始める可能性はある。
そうなったらその時また考えればいいかと、とりあえず明日からの片付けで使ってみることにした。効果はまた後日ここで報告しようと思う。
片付けとは執着心を捨てること
片付けをしてきて分かったことは、物に対して強い思い入れがあればあるほど、片付けは進まないということだ。思い出の品、なけなしのお金を集めて買ったもの、プレゼントされたもの、大事なコレクション……などなど。物にまつわる思いがあると、その物はそこに残り続ける。
そういった物を自分で捨てる、それは誰かのせいにできないため、非常に強いストレスを与えてくる。選択しているだけで、15分が終わってしまうのではないかと思うぐらいだ。
可能なら捨てたくない、しかし家にあっても日の目を見ることは今後もない。なのに捨てたくない。つまり、その物を持っているという自己満足があるからだ。
時々、中野ブロードウェイにある店の数々を見て思う。これもあれも持っていた。こんな値段になるなんて、持っておけばよかったな……と。完全に所有欲に囚われている。
後に価値がついたものを価値がない時に捨てたからって、別に損をしたわけではない。だけど、“持っていた”という事実が、今手元にない=損をしたと思わせる。
わかっている、わかっているのだが捨てられない。もうこれ以上、「あの時捨てなければよかったのに」という思いをしたくないという、恐怖が心のどこかにある。
いつになったらこの執着心を捨てられるのか、もう数年はこの調子かもしれないと思いながらも、少しずつ整理しようと思う。